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洗濯の歴史

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クリーニングのはじまり・・

1. 染物屋の副業として

室町時代(1338~1573年)に、染物屋である紺屋が営業としてはじめたものである。 顧客は、公卿や幕府に仕える武家やあった。
副業から専業になるのは、江戸時代の元禄(1668~1704年)から、享保(1716~1736)にかけてであり、江戸で洗濯屋が、京都では、紺屋から独立した洗い物屋が出現する。

2. クリーニングの基盤は、

江戸時代の洗濯屋は洗濯女が2人1組になって、顧客の家へ出かけ灰汁を使った洗濯で木綿を主とする衣料の洗濯をしている。しかし身分の高い武士や豊かな商人の高級衣料は、悉皆屋(しっかいや 染め物や洗い張りをする店)を通して、京都の洗い物屋へ送るのが常であった。
洗剤として灰汁、米のとぎ汁、白小豆などを使い、しみぬきには鶯(うぐいす)の糞や大根の汁などを使い、お湯も使っている。仕上は、ひめ糊を使用して張仕上を行い、砧うち(きぬたうち 木や石の台に布をおき、木づちで布を打って、布のつやを出したり、やわらかくすること)も行われている。
長崎では、異国張りといわれるアイロンの使用による仕上もなされていた。

3 本格的なクリーニング.

安政6年(1859年)3月、青木屋忠太が横浜で異人洗濯を兼業したのが西洋洗濯の始まりといわれ、横浜市山手町のフランス公園内にクリーニング発祥の記念碑が残っている。
明治4年に、明治政府は、軍服、軍帽法を制定して、洋服制度が定着し軍服や欧風の風俗が浸透してくると、男女の衣服も西洋風のものが増え西洋洗濯に対する需要が増え、各地で西洋洗濯業が開業している。

4. 当時の洗い方

ランドリーの洗い方は、水あるいはお湯でソーダと石けんを使って洗い、関東地方では蒸し桶で蒸し洗いをして、数枚ずつの被洗物を板や石段にたたきつけたり、板の上にのせた被洗物を洗い棒でたたいたりした。洗濯機は、明治の中頃から使用されるようになり、被洗物は糊づけして乾燥させたのち、火のしで仕上げられた。
火のしとは、今日のアイロンのことであるが、機能性を追及した結果、後に現在の舟形になった。
また洗濯機が輸入されたのは、明治の末期から大正の初期にかけてであるが当初は人力による手回しの洗濯機や脱水用ローラーが使われた。動力化したのは、大正の初期からである。

5. ドライクリーニングは、いつから?

ドライクリーニングは、文化・天保年間(1830年頃)に、フランス人のブレンが開発した技法で、最初はテレピン油、ついでベンゾールを使用して洋服類を丸洗いしている。
1855年、パリでの万国博覧会に、衣服若返り術として展示され、その後ヨーロッパ各地に普及した。米国ではそのためドライクリーニングをフランス式クリーニングとよんでおり、1903年にはドライ機も製造されようになった。
日本では、明治40年、白洋社の大井工場でのクリーニングが最初である。当時はナフサに

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